免疫は「強める仕組み」と「止める仕組み」の両輪で動く
免疫の話をするとき、私たちはつい「どうやって応答を強めるか」に注目しがちです。ワクチンも抗体医薬も、応答を引き出すことを目的にしています。しかし生体内の免疫系は、応答を引き出す仕組みと同じくらい、応答を適切なところで止める仕組みに依存しています。止める機構が弱ければ、免疫は自分自身の組織を攻撃し(自己免疫)、また弱い刺激にも過剰に反応し続けて慢性的な炎症の温床になります。
この「止める仕組み」、すなわちシグナルの負の制御を、B細胞という抗体産生細胞のレベルで分子的に示した初期の重要な研究の一つが、東京科学大学(研究当時は東京医科歯科大学 難治疾患研究所)の安達貴弘准教授らが 2000 年に The Journal of Immunology に報告した CD72 に関する論文です [1]。本稿では、この負の制御の分子機構を出発点に、それが細胞・組織・個体のレベルでどのような意味を持ち、加齢に伴う慢性炎症(インフラメイジング)の理解とどう接続するのかを順を追って整理します。
なお、研究者名の同定について一点補足します。「Adachi」を含む免疫関連論文には、β-グルカンや Dectin-1 を研究する別の研究者(安達禎之、東京薬科大学)の業績も存在しますが、本稿が参照するのは所属(東京医科歯科大学/東京科学大学の免疫学・未病制御学分野)と研究テーマ(B細胞抗原受容体シグナル)で確認した安達貴弘准教授の論文に限定しています。
分子のレベル:B細胞抗原受容体と共受容体
B細胞は、表面に B 細胞抗原受容体(B-cell antigen receptor, BCR)という分子複合体を持ちます。BCR が抗原(病原体の一部など)を捕まえると、細胞内にシグナルが伝わり、B細胞は活性化して増殖し、最終的に抗体を産生する形質細胞へ分化します。これが「強める」側の基本経路です。
ところが BCR の周囲には、このシグナルの強さと持続時間を調整する共受容体(co-receptor)が複数配置されています。代表的なのが CD72 と CD22 です。これらは細胞内ドメインに ITIM(immunoreceptor tyrosine-based inhibitory motif)と呼ばれる抑制性のモチーフを持ち、活性化されると脱リン酸化酵素 SHP-1 などを呼び込みます。SHP-1 は BCR シグナル経路のリン酸化を巻き戻すように働き、シグナルの増幅にブレーキをかけます。
安達准教授らの 2000 年の論文 [1] は、CD72 を介した刺激が BCR からのシグナル伝達を実際に抑制すること、すなわち CD72 が B細胞において「負の制御因子」として機能することを実験的に示しました。共受容体が抑制側にも存在し、それが BCR シグナルの出力を実測可能な形で下げるという知見は、その後の B細胞シグナル研究、ひいては自己免疫疾患の発症機構を考えるうえでの基盤の一つになっています。
CD22 も同じく ITIM を持つ抑制性共受容体で、シアル酸を認識する分子として知られています。CD72 と CD22 は重複しつつも異なる場面で BCR シグナルの閾値を設定しており、B細胞が「どの程度の刺激から本気で応答するか」を決めるダイヤルのような役割を担っています。閾値が低すぎれば自己抗原にも反応してしまい、高すぎれば必要な防御応答が立ち上がりません。負の制御はこの閾値設定の中核です。
細胞のレベル:閾値が崩れると何が起きるか
負の制御が分子のスイッチだとすると、細胞のレベルではそれが「自己と非自己の線引き」に直結します。B細胞は発生の過程で、自己の成分に強く反応するクローンを除去あるいは不活性化する選別を受けます。この選別の精度も、BCR シグナルの強さをどう読み取るかに依存しており、CD72・CD22 のような負の制御因子はその読み取り装置の一部です。
負の制御が弱まると、本来は不活性化されるべき自己反応性 B細胞が活性化の側に傾きます。実際、CD72 や CD22 の機能変化は、全身性エリテマトーデス(SLE)をはじめとする自己免疫の感受性と関連づけて議論されてきました。安達准教授らはその後、Ca²⁺バイオセンサーを発現するトランスジェニックマウスを用いて、自己免疫が病理学的に明らかになる「前」の段階でリンパ球の Ca²⁺シグナル動態に異常が現れることを 2016 年に Scientific Reports で報告しています [2]。これは、負の制御の破綻が個体レベルの病態として顕在化する前に、細胞シグナルの段階で検出できる可能性を示した点で重要です。
ここで強調しておきたいのは、これは特定の病気の診断法や治療法を提案するものではなく、免疫制御の破綻がどの段階から観察可能かという基礎的な知見だという点です。本稿は医学的な助言を行うものではありません。
組織・個体のレベル:慢性炎症と加齢
ここから長寿研究との接点が見えてきます。加齢に伴って、私たちの体内では「インフラメイジング(inflammaging)」と呼ばれる、低レベルだが持続的な炎症状態が進行しやすくなります。この慢性炎症は、López-Otín らが 2023 年に Cell で整理した老化のホールマークの枠組みのなかで、独立した特徴の一つとして位置づけられています [3]。慢性炎症は血管・代謝・神経など多くの組織の機能低下と関連し、健康寿命を左右する因子と考えられています。
慢性炎症の成立には、炎症を引き起こす側の経路だけでなく、炎症を収束させる負の制御の効率も関わります。免疫応答を適切に止められなければ、刺激が去った後も低レベルの活性化が残り続けます。B細胞の領域に限っても、加齢とともに自己反応性のクローンが蓄積しやすくなることや、抗体レパートリーの質が変化することが知られており、その背景に負の制御の効率変化が関与する可能性が議論されています。CD72・CD22 のような分子は、こうした「炎症を止めきれない状態」を分子レベルで理解する手がかりになります。
ただし、ここは相関と因果を慎重に分けるべき領域です。負の制御因子の機能と慢性炎症・老化の関連は、機序的には整合する仮説ですが、ヒトでの介入研究によって「負の制御を回復させれば健康寿命が延びる」と言えるところまでは到達していません。現時点で確実に言えるのは、免疫応答には強める仕組みと止める仕組みの均衡があり、その均衡の理解が慢性炎症を読み解くうえで欠かせないということです。
発酵・食品成分という観点からの接続
この媒体が発酵と長寿を扱う理由から、もう一段だけ視野を広げます。安達准教授の研究室は、農学(食品工業化学)の出自を背景に、食品由来成分や腸内細菌が免疫細胞のシグナルをどう修飾するかを生体イメージングで可視化する研究も進めてきました。本稿で扱った負の制御の研究は、その同じ研究室が「免疫のシグナルをどう読み、どう調整するか」を一貫して追ってきた流れの起点に位置します。
食事や発酵食品が免疫に与える影響を考えるとき、私たちは「免疫を高める」という言い方をしがちです。しかし負の制御の視点を踏まえると、食品成分の意義は「過剰な炎症を適切なところで収束させる方向に均衡を戻す」ことにあるのかもしれません。発酵食品の摂取が炎症性タンパク質を下げる方向に働くという介入研究の知見とも、この見方は理屈の上で整合します。発酵と健康寿命の関係を機序ベースで語るうえで、シグナルの負の制御という基礎概念は欠かせない補助線です。
こうした免疫と食・発酵をつなぐ研究の社会実装は、宇宙×発酵を掲げるSpace Seed Holdingsが関心を寄せる領域とも重なります。長期の閉鎖環境では免疫の均衡が崩れやすいことが知られており、負の制御という視点はその理解の土台になります。
まとめ
B細胞抗原受容体のシグナルは、CD72・CD22 といった抑制性共受容体による負の制御によって閾値が設定されています [1]。この負の制御は、自己と非自己の線引き、自己免疫の発症前段階のシグナル異常 [2]、そして加齢に伴う慢性炎症 [3] という、分子から個体までの複数の階層に通じる基礎概念です。免疫を理解するには、強める仕組みと同じだけ止める仕組みに目を向ける必要があります。発酵食品と健康寿命の関係を機序で語るうえでも、この負の制御の枠組みは重要な出発点になります。
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