「何を食べるか」の前に「何を飲んでいるか」

腸内細菌叢の研究は、食事の影響に注目しがちです。しかし、とくに高齢者を考えるとき、食事と同等かそれ以上に腸内細菌叢を動かす因子があります。常用薬です。加齢とともに、複数の慢性疾患に対して多剤併用(ポリファーマシー)が一般的になります。これらの薬剤が腸内細菌叢に与える影響を、食事介入の議論と切り離して理解しておくことは、発酵食品の機能を機序ベースで論じるうえでの前提になります。本稿は、Vich Vila らが 2020 年に Nature Communications で報告した研究 [1] を中心に、薬剤による腸内細菌叢の変化の機序と、それが高齢者の慢性炎症・短鎖脂肪酸産生にどう関わるかを多段で掘り下げます。

Vich Vila 2020 が観察したこと

Vich Vila らの研究 [1] は、一般集団コホートと 2 つの消化器疾患コホート(合計でかなりの規模の便サンプル)のメタゲノム解析を用いて、41 種類の常用薬が腸内細菌叢の分類学的構造・代謝機能・抗菌薬耐性遺伝子(レジストーム)に与える影響を解析しました。重要な方法上の工夫は、複数の薬剤を同時に服用している影響を統計的に補正した点です。多剤併用が一般的な集団では、ある薬剤の効果と別の薬剤の効果が交絡するため、これを補正しないと個々の薬剤の影響を誤って評価してしまいます。

報告された主な観察は以下の通りです。第一に、41 薬剤のうち 19 薬剤が腸内細菌叢の特徴と関連していました。第二に、多剤併用を補正したうえでも、プロトンポンプ阻害薬(胃酸分泌抑制薬)、メトホルミン(糖尿病薬)、抗菌薬、緩下剤が、腸内細菌叢と最も強い関連を示しました。第三に、これらの薬剤は腸内細菌叢の組成だけでなく、代謝機能の推定値や抗菌薬耐性遺伝子の保有にも影響していました [1]。著者らは、常用薬が腸内細菌叢に広範な変化をもたらすこと、そして今後の腸内細菌叢研究では多剤併用の補正が不可欠であること、を整理しました [1]。

研究デザインの限界を併記します。これは観察的なメタゲノム解析であり、薬剤と腸内細菌叢の関連が示されたものの、薬剤が腸内細菌叢を変える因果なのか、それとも基礎疾患そのものの影響なのかを、観察データだけでは完全には切り分けられません [1]。本媒体は機序ベースで書きますが、この区別を省きません。

機序:薬剤はどうやって腸内細菌叢を変えるのか

Vich Vila 2020 [1] が強い関連を示した薬剤について、機序の側から整理します。

プロトンポンプ阻害薬は、胃酸分泌を抑えて胃内 pH を上げます。胃酸は経口的に入る細菌に対する化学的バリアとして機能するため、その抑制は口腔・上部消化管由来の細菌が下部消化管に到達しやすくする方向に働き、腸内細菌叢の組成を変化させると考えられます。メトホルミンは、腸管での糖代謝・胆汁酸動態・特定の腸内細菌(短鎖脂肪酸産生菌を含む)の相対量に影響することが報告されており、その薬効の一部は腸内細菌叢を介する可能性が議論されています。抗菌薬は、標的でない常在菌まで広く減少させ、腸内細菌叢の多様性と機能を直接的に変えます。緩下剤は、腸管通過時間と水分環境を変えることで、発酵が起こる物理的条件そのものを変化させます。これらはいずれも、腸内細菌叢の組成と「発酵によって何が作られるか」という代謝機能の両方を動かす経路です [1]。

高齢者の慢性炎症・短鎖脂肪酸産生との接点

薬剤による腸内細菌叢の変化が長寿研究と接続するのは、それが短鎖脂肪酸産生と慢性炎症に影響しうるためです。短鎖脂肪酸産生菌が薬剤によって減少すれば、腸管上皮のエネルギー供給・バリア維持・制御性免疫細胞の分化が弱まり、Ferrucci と Fabbri が 2018 年に Nature Reviews Cardiology で整理した慢性炎症(inflammaging)[2] の供給源のひとつである「腸管バリア低下に伴う細菌成分の漏出」が増えうる、という機序的な経路が想定されます。

ここで重要なのが、Ghosh らが 2020 年に Gut で報告した NU-AGE 試験 [3] との対比です。NU-AGE 試験は、地中海食という食事介入が高齢者の腸内細菌叢の機能(短鎖脂肪酸産生能)を望ましい方向に押せることを示しました。一方、Vich Vila 2020 [1] は、常用薬がその腸内細菌叢を別方向に動かしうることを示しています。つまり高齢者の腸内細菌叢は、「食事による望ましい修飾」と「薬剤による意図しない修飾」という、相反しうる 2 つの力の下にあります。発酵食品の機能を高齢者で論じるときは、この薬剤の背景を考慮しないと、効果の評価が交絡しうる——これが本稿の核心です。老化のホールマーク [4] の言葉で言えば、薬剤も食事も「細胞間コミュニケーションの変化」というホールマークに、腸内細菌叢を介して接点を持ちます。

発酵食品の文脈

発酵食品が高齢者の腸内環境を支えうるという機序を論じるとき、Vich Vila 2020 [1] の知見は重要な留保を与えます。第一に、発酵食品の効果を評価する観察研究では、対象者の服薬状況が交絡因子になりうるため、これを補正しない関連は過大・過小評価されうる、ということ。第二に、機序的には、薬剤で短鎖脂肪酸産生菌が減りやすい高齢者ほど、食物繊維を発酵する内因性経路を支える食材(発酵食品を含む)の意義が相対的に大きくなりうる、という仮説が立てられること。ただし第二の点は、薬剤服用下で発酵食品が腸内環境を回復させることを直接示した試験がまだ限られるため、機序的に整合する仮説の段階にとどめます。本媒体はこの区別を毎回明示します。発酵食品を「万能の対抗策」として描かず、薬剤・基礎疾患という背景のなかでその機序的位置づけを慎重に述べる——という姿勢を保ちます。

ベンチャービルディングの視点から

薬剤と腸内細菌叢の相互作用が長寿研究で重視されるのは、高齢化社会において多剤併用が常態であり、腸内細菌叢を介した健康介入を設計する際に「薬剤という背景」を無視できないためです。Vich Vila 2020 [1] のような大規模解析は、腸内環境を標的とする介入研究の設計品質を上げる基盤になります。

Space Seed Holdings が運用する Fermentation and Longevity Fund がこの領域に関心を持つのは、薬剤・栄養・腸内細菌叢の相互作用という考え方が、地上の健康寿命だけでなく、薬剤投与と限られた食材が併存する長期有人宇宙活動における腸内環境の管理という課題にも接続するためです。誇張せずに言えば、薬剤と腸内細菌叢の関係は、発酵食品の機能を「現実の背景因子のなかで」評価するための前提を与える具体的なテーマになります。

まとめ

Vich Vila らが 2020 年に Nature Communications で報告した研究 [1] は、多剤併用を補正したうえで、プロトンポンプ阻害薬・メトホルミン・抗菌薬・緩下剤が腸内細菌叢の組成と代謝機能に最も強く関連することを示しました。これらの薬剤は、胃内 pH・糖代謝・常在菌の直接減少・腸管通過時間という経路で、発酵が起こる条件そのものを変えます。薬剤による短鎖脂肪酸産生菌の減少は、inflammaging [2] の腸管バリア経路を増悪させうる一方、食事介入(NU-AGE 試験 [3])はそれを望ましい方向に押せます。高齢者の腸内細菌叢は相反する 2 つの力の下にあり、発酵食品の機能を論じるには薬剤という背景の考慮が前提になります。老化のホールマーク [4] の細胞間コミュニケーションの変化に、薬剤も食事も腸内細菌叢を介して接点を持ちます。観察的関連と因果の区別を保ちました。

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