2020年に発酵食品の「世界地図」が描かれた

発酵食品は、ほぼすべての文化圏で食事の一部を占めてきました。しかし基質(原料)も微生物も製法も地域ごとに大きく異なり、研究者によって用語の使い方も統一されていませんでした。乳酸発酵、アルコール発酵、アルカリ発酵、酢酸発酵といった反応様式が、味噌・キムチ・ザワークラウト・テンペ・ケフィア・コンブチャといった食品にどう対応するのか、横断的に整理した文献は限られていました。2020年、Tamang らは Comprehensive Reviews in Food Science and Food Safety に総説「Fermented foods in a global age: East meets West」を発表し、世界各地の発酵食品を基質・関与微生物・製法・地域分布の軸で整理して提示しました [1]。

この総説の意義は、個別の発酵食品の効能を主張することではなく、発酵食品研究を比較可能にする共通の枠組みを示した点にあります。それまでの発酵×健康研究は、特定の食品(ヨーグルト、納豆など)や特定の菌株を個別に扱う研究が主で、知見を相互に比較する土台が弱いという課題がありました。本記事では、2020年時点でこの総説がどのような整理を行ったかを、分子・微生物・食品・集団という複数のレベルで機序の観点から振り返ります。

スターター依存型と自然発酵型:制御の度合いという軸

Tamang らは、ヨーロッパ・北米・オーストラリア・ニュージーランドで作られる発酵食品の多くが、あらかじめ選抜された純粋培養のスターターカルチャーに依存するのに対し、アジアやアフリカの発酵食品はしばしば環境中の微生物による自然発酵(バックスロッピングを含む)に依存すると整理しました [1]。

この区別は機能性を考えるうえで重要です。スターター依存型は、接種する菌株が既知であるため、再現性と安全性の管理がしやすく、生成される代謝物のプロファイルも予測しやすい性質があります。一方、自然発酵型は関与する微生物群(細菌・酵母・糸状菌)が多様で、発酵中に微生物の遷移(succession)が起こり、生成される代謝物のレパートリーも広くなりやすいと考えられます。たとえばザワークラウトやキムチでは、初期に Leuconostoc 属が優占し、酸性化が進むにつれて Lactobacillus 属(現在は Lactiplantibacillus 等に再分類)へと優占種が移り変わる遷移が知られています。この遷移の各段階で異なる代謝物が蓄積するため、発酵期間や温度が最終的な成分プロファイルを大きく左右します。

日本の味噌・醤油・清酒は、麹菌(Aspergillus oryzae)という管理されたスターターを核に用いつつ、後段で乳酸菌・酵母が関与する複合発酵で、両者の中間的な性格を持ちます。麹菌による一次分解(高分子の酵素分解)が先行し、その分解産物を基質に二次発酵が進むという多段構造は、制御性と代謝物多様性を両立させる設計といえます。Tamang らの枠組みは、この「制御の度合い」という連続軸の上に世界の発酵食品を配置できる点に実務的な価値があります。

発酵が栄養と機能性に与える変化:分子レベルの整理

総説は、発酵が食品にもたらす変化を複数の分子レベルの側面から整理しています [1]。

第一に、タンパク質の加水分解です。微生物のプロテアーゼ・ペプチダーゼが基質タンパク質を分解し、消化性の高い遊離アミノ酸と短鎖ペプチドを生成します。このとき、特定の配列を持つペプチド(生理活性ペプチド)が遊離することがあります。代表的なのが、アンジオテンシン変換酵素(ACE)阻害活性を持つペプチドで、発酵乳・発酵大豆製品から見いだされてきました。これらは血圧調節に関与しうる候補として in vitro・動物レベルで検討されています。

第二に、抗栄養素の分解です。穀物・豆類に含まれるフィチン酸は、鉄・亜鉛・カルシウムなどのミネラルとキレートを形成し吸収を妨げますが、微生物・内在性のフィターゼがフィチン酸を脱リン酸化することで、これらのミネラルの生物学的利用能が高まります。テンペやサワードウ(発酵パン種)でこの効果がよく知られています。

第三に、ビタミンと発酵代謝物の生成・濃縮です。一部の乳酸菌・プロピオン酸菌はビタミン B12 や葉酸、ビタミン K2(メナキノン)を合成し、酵母はビタミン B群を蓄積します。さらに、有機酸(乳酸、酢酸、プロピオン酸)、γ-アミノ酪酸(GABA)、ポリアミン、共役リノール酸といった発酵代謝物が新たに生成または濃縮されます。

これらは、発酵食品摂取と健康の関連を「機序ベースで」考える出発点になります。重要なのは、発酵食品の作用を「生菌が腸に届く(プロバイオティクス的側面)」だけでなく、「発酵で生まれた分子そのものを摂取する(ポストバイオティクス的側面)」の二つに分けて考える視点です。発酵食品が腸内環境や免疫指標に与える影響を扱った介入研究(その後 Wastyk らが2021年に報告した試験など)も、こうした代謝物を介した経路を前提にしています。発酵食品由来菌そのものの直接定着というより、発酵で生まれた代謝物が宿主の腸内環境を修飾する経路が、現在の主要な仮説です。

細胞・組織レベルへの接続

分子レベルで生成された発酵代謝物は、摂取後にどの細胞・組織に作用しうるのでしょうか。総説の枠組みは、ここから先の機序を個別研究に委ねていますが、その後の研究を整理する見取り図としては有用です。

短鎖脂肪酸(SCFA)前駆体や食物繊維は、大腸で腸内細菌に発酵され酪酸・プロピオン酸・酢酸を生みます。酪酸は大腸上皮細胞のミトコンドリアでβ酸化され主要なエネルギー源になると同時に、ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)を阻害してエピジェネティックな遺伝子発現調節に関与します。生理活性ペプチドは腸管で吸収され、循環系を介して血管内皮や腎で作用しうる候補として議論されます。発酵で生じた抗酸化分子(フェノール代謝物など)は、酸化ストレス下の組織で作用しうる候補です。

組織レベルでは、これらが腸管バリア機能、腸管関連リンパ組織(GALT)の免疫応答、そして全身の炎症性サイトカインのプロファイルに波及しうる経路が、個別の研究で検討されています。Tamang らの総説は、こうした下流の機序を比較するための「入口」を整理した文献として位置づけられます。

個体・集団レベル:観察研究の限界と介入研究の必要性

個体レベルでは、発酵食品の摂取が代謝・免疫・認知のアウトカムとどう関連するかが問われます。ここで決定的に重要なのが、観察研究と介入研究の区別です。

発酵食品をよく食べる人は、食物繊維・野菜の摂取が多く、加工食品が少なく、運動習慣を持つ傾向があるなど、食事パターンとライフスタイル全体が異なりがちです。そのため、観察研究で発酵食品摂取と良好なアウトカムの相関が見られても、それが発酵食品そのものの効果なのか、健康的な生活全体の効果なのかを切り分けることはできません(残差交絡)。Tamang らの総説は枠組みの提示であり、特定の発酵食品が特定の疾患を予防するという主張ではありません。発酵食品ごとに微生物相も代謝物も異なるため、効果を論じるには食品単位・成分単位での、できれば介入デザインによる検証が必要です。

Marco らが2017年に整理したように、発酵食品の健康関連性は微生物そのものに加え、その代謝産物(ポストバイオティクス)まで含めて考える必要があります [2]。老化のホールマーク [3] のうち、慢性炎症(inflammaging)と腸内細菌叢の乱れ(dysbiosis)は、食事介入で上流から働きかけうる数少ない標的です。Tamang らの総説が整理した「発酵が生む代謝物の多様性」は、これらの標的に対する食事側の入力を、比較可能な形で考えるための基盤を提供します。ただし、その基盤の上で実際の因果を確立するには、食品・成分・集団を特定した介入研究の積み上げが引き続き必要です。

日本の発酵食文化の位置づけ

Tamang らの整理に照らすと、日本の発酵食(味噌、醤油、清酒、納豆、漬物、甘酒)は、麹菌という管理されたスターターを核にしつつ、複数の微生物が関与する複合発酵という特徴を持ちます。これは「東の発酵」の代表例として総説でも扱われています [1]。麹菌の酵素群による一次分解が、後段の乳酸菌・酵母による二次発酵の代謝物多様性を底上げするという多段構造は、制御性(安全性・再現性)と機能性(代謝物の豊富さ)を同時に追求できる系として、機序的に注目される題材です。

スペースシードホールディングス が掲げる宇宙×発酵の事業構想では、こうした世界各地の発酵知見を、地上と閉鎖環境(軌道上を含む)の双方で食料供給と健康維持に活かす研究が議論されています。閉鎖環境では食材の種類が限られ、廃棄物を最小化する必要があるため、限られた基質から多様な機能性代謝物を引き出せる発酵の制御技術が要点になります。発酵食品の機能性を世界規模で比較可能にした2020年のこの総説は、その議論の共通言語になっています。

まとめ

2020年に Tamang らが発表した総説は、世界各地の発酵食品を基質・微生物・製法で体系化し、発酵が栄養と機能性に与える変化を分子レベルで整理しました [1]。スターター依存型と自然発酵型という制御度の軸、タンパク質加水分解・抗栄養素分解・代謝物生成という三つの分子的変化、そしてそれが細胞・組織・個体レベルでどう波及しうるかという機序の見取り図を提供しています。特定食品の効能を主張するものではなく、発酵×健康研究を比較可能にする枠組みとして、その後の研究の出発点となっています [1][2][3]。観察研究の知見を介入研究で詰めていくうえでの共通言語として、引き続き参照される総説です。

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