「どんな大豆か」より「どんな菌株か」で品質が決まる
テンペは、脱皮・煮熟した大豆をクモノスカビ(Rhizopus 属糸状菌)で固体発酵させ、菌糸が豆粒を結着して白いケーキ状にしたインドネシア発祥の発酵食品です。発酵の主役が Rhizopus oligosporus であることはよく知られています。しかし実務で品質を左右するのは、「R. oligosporus を使ったかどうか」だけではありません。同じ R. oligosporus と分類される菌でも、菌株(strain)が違えば生育速度・酵素活性・安全性が変わり、結果としてテンペの品質が変わるのです [1][2]。
この記事が扱うのは、テンペの栄養変換そのもの(プロテアーゼやフィターゼが大豆をどう作り替えるか)ではなく、その一段手前の問いです。すなわち「良いテンペを安定して作る菌株を、どうやって選び、育てるのか」という、菌の育種(株改良)の話です。育種という言葉は作物や家畜で馴染みがありますが、発酵食品の世界では、微生物そのものが選抜と改良の対象になります。本稿はその工程を、分子 → 菌株 → 工程の順に多段で整理します。
1. なぜ菌株間で差が出るのか
R. oligosporus は、プロテアーゼ・リパーゼ・フィターゼ・β-グルコシダーゼなどの加水分解酵素を分泌し、旺盛な菌糸で豆粒を物理的に結着します。この酵素群の働きでテンペの栄養が作り替えられること自体は別稿で扱いました。ここで重要なのは、規範的な総説が整理しているように、これらの形質には株間差がある、という事実です [1][2][3]。
差が生じる理由は機序的に説明できます。第一に、Rhizopus は無性胞子(胞子嚢胞子)を多量に作る接合菌で、伝統的な種菌(インドネシアで ragi/usar と呼ばれるスターター)は単一の純粋培養ではなく、複数の菌株・随伴細菌の混合体です。混合体である以上、構成比やどの菌株が優占するかでロットごとに性能がぶれます [1][3]。第二に、Rhizopus の体細胞菌糸は複数の核を含みうる(多核・ヘテロカリオン)ため、菌糸断片から取った菌は核構成が混ざっていることがあります。同じ起源でも遺伝的に均一とは限らないのです [1]。
つまり「R. oligosporus を使っている」という情報だけでは、生育の速さも酵素の強さも安全性も保証されません。だからこそ、菌を選び・固定し・改良する育種の工程が必要になります。
2. 出発点は単胞子分離:均一なクローンを得る
育種の最初の操作は、良質なテンペや種菌から菌を分離し、単一の胞子に由来するクローン(single-spore isolate)を得ることです [1][2]。これは「とりあえず菌を取ってくる」のとは違う、機序的な意味を持つ操作です。
単胞子分離をする理由は二つあります。一つは、混合体である種菌から遺伝的に均一なクローンを取り出し、形質を再現可能に評価できる単位にすることです。性能がぶれる混合体のままでは「この菌株は酵素が強い」という評価自体が成立しません。もう一つは、前述の多核性への対処です。胞子は減数を経ない無性胞子ですが、菌糸断片に比べれば核構成のばらつきを抑えやすく、選抜の単位を明確にできます [1]。
分離したクローンは、凍結・凍結乾燥・斜面継代などで系統保存し、分離源・分離日・継代回数を記録します。ここで一つの落とし穴があります。継代を重ねると胞子形成能や酵素活性が落ちる「劣化(degeneration)」が知られているため [1][3]、来歴の記録は単なる事務作業ではなく、育種の再現性を支える前提条件です。何代目の菌かを管理しないと、選び抜いた優良株がいつのまにか別物になっている、という事態が起こり得ます。
3. 選抜の指標:生育・酵素・安全性を別の軸で測る
均一なクローンの集まりから目的に合う菌株を選び出すのが選抜です。ここで重要なのは、目標形質ごとに別の指標を立てるという考え方です。「速い菌が良い菌」という単純化は成り立ちません [1][2]。
生育・結着の指標としては、寒天平板上のコロニーが広がる速さ(菌糸伸長速度)、胞子の発芽率と形成量、そして実際に蒸煮大豆で小さく試作したときのケーキの硬さ・菌糸密度(結着力)を見ます。ここで段階を踏むことが重要です。平板で速い菌が、実際の大豆基質でも良いテンペを作るとは限らないため、平板での一次スクリーニング → 小規模固体発酵での確認、という多段の絞り込みが定石になっています [1][2]。
酵素活性の指標は、目標が「栄養変換能の高い菌株」のときに重要になります。基質を含む寒天上での分解ハロー(透明帯)の大きさや、粗酵素液の比活性で、プロテアーゼ(タンパク質の低分子化=消化性・うま味に対応)、フィターゼ(フィチン酸分解=鉄・亜鉛などミネラルの利用能向上に対応)、β-グルコシダーゼ(イソフラボン配糖体をアグリコンへ変換)といった活性を測ります [2][3]。
ここで相関と因果を分けて読む姿勢が要ります。「高プロテアーゼ株でテンペを作ると遊離アミノ酸が増える」は、酵素 → 反応 → 産物という因果が機序的に説明できる関係です。一方「ある産地由来の菌は総じて酵素が強い」は相関の記述にすぎず、産地そのものが原因とは限りません(分離・選抜の偏りを含みうる)。育種では、菌株の形質 → 酵素 → 基質変換 → 栄養・官能、という因果の連鎖を明示して評価することが、誠実なやり方です。
4. もう一つの選抜:危ない菌を「除外」する
選抜には、良い形質を選ぶ作業と並んで、もう一本の柱があります。危険な近縁種・株を除外するネガティブ選抜です [3]。
食用に選抜された R. oligosporus は、一般に安全(GRAS 的位置づけ)と認識され、有害な二次代謝物の産生と関連しないとされています。ところが、近縁の Rhizopus microsporus 群には、内部共生細菌 Burkholderia に由来する毒素(rhizoxin など)を産生しうる株が存在します [3]。形態だけでは区別が難しいため、分子同定で種を確定し、毒素産生の懸念がある近縁株を確実に排除することが、育種の安全性の前提になります。
随伴細菌の管理も並行して必要です。テンペ中のビタミン B12 は Klebsiella pneumoniae や Citrobacter freundii といった腸内細菌科の細菌に由来しますが、これらは属レベルでは安全性が論点になりうる菌でもあります。Keuth と Bisping は 1994 年に、テンペ由来の C. freundii/K. pneumoniae 株が主要なエンテロトキシン遺伝子を PCR で欠くことを示し、特定の分離株は遺伝的に病原性形質を欠くと報告しました [4]。これは「属レベルの一般的懸念」と「特定分離株の遺伝的実態」を分けて評価する姿勢の好例であり、糸状菌の育種と同時に、共存する細菌側の株衛生も管理対象になることを示しています [4]。
5. 形質を積極的に変える:適応継代・変異・オミクス(研究段階)
自然分離株からの選抜に加えて、形質を積極的に改変する研究的アプローチがあります。ここは公開された査読文献の範囲にとどめ、誇張も断定的な将来予測もしません [1][3][5]。
一つは適応的選抜です。特定の温度・pH・基質条件で菌を反復継代し、その条件で優れる亜株を得る方向で、環境耐性や特定基質への適応の改良に使われます。遺伝的背景を特定せずに進める経験的手法である点には留意が要ります。もう一つは変異処理と選抜の組み合わせで、これは麹菌(Aspergillus)など他の産業用糸状菌で広く使われてきた古典育種の枠組みです。
近年は、オミクス解析がこの領域に分子の解像度を与えつつあります。2026 年に npj Science of Food に発表されたスコーピングレビューは、メタゲノム解析(どの遺伝子があるか)に加えメタトランスクリプトーム解析(どの遺伝子が実際に発現しているか)が、フィターゼ・プロテアーゼなどの「存在」だけでなく「活性」を確認しつつあると整理しています [5]。これは「どの菌株のどの遺伝子が実際に働いているか」を分子データで評価する、育種の新しい基盤になりえます。ただし現状は機構解明が中心であり、分子レベルの設計的改変が実用テンペ生産で標準化された段階ではありません [5]。遺伝子組換えやゲノム編集による改変は研究文脈で論じられますが、食品応用の規制適合は法域ごとに別途評価が必要で、本稿は中立に「研究段階」と記すにとどめます。
6. 改良した菌株は「スターター」になって初めて価値を持つ
どれだけ優れた菌株を選び抜いても、それが現場で使える種菌(スターター)として実装されなければ意味がありません [2][3]。
伝統的な ragi/usar は、穀粉などの担体に複数の菌を増殖させた混合スターターで、地域や作り手で菌叢が変動します。これに対し純粋培養スターターは、選抜した R. oligosporus の単一株(または明確に定義した組み合わせ)を担体に培養し、胞子量と純度を規格化したもので、工業生産での再現性の基盤になります [2][3]。
ここに、テンペ特有のトレードオフがあります。純粋培養化と衛生化は再現性と安全性を高めますが、伝統製法が保持していた細菌多様性(健康に資すると推定される分類群を含む)を減じうるのです [3][5]。つまり育種とスターター設計は、「単一の最適株へ収束させる」ことだけが目的ではなく、必要な機能を担保しながら有用な多様性をどう残すか、という設計問題でもあります。
最後に、スターターの胞子は保存条件や保存期間で生存率・発芽率が低下しうるため、胞子数・発芽率・純度といった品質規格と有効期限の管理が、育種の成果を現場の品質へ橋渡しする最終工程になります。優良株の選抜が出発点なら、規格化されたスターターはゴールに最も近い一歩です。
7. 発酵食品としての位置づけと SS-HD の関心領域
菌株を選び、固定し、改良し、規格化されたスターターへ実装する——この一連の流れは、味噌・清酒・甘酒など他の発酵食品でも本質的に共通する「発酵を産業として安定させる」営みです。微生物そのものが育種対象になるという発想は、発酵食品を機序から理解するうえで欠かせません。
Space Seed Holdings が掲げる「宇宙×発酵」「完全資源循環型の食料供給」という構想においても、限られた資源と閉鎖環境で再現性ある発酵を成立させるには、菌株の特性づけと安定化が基礎研究テーマとして重要だと議論されています。微小重力・閉鎖系での Rhizopus の生育や酵素発現、スターターの安定性は現状ほぼ空白の領域であり、着手価値の高い問いとして中立に位置づけられます。本稿はあくまで公開された査読論文に基づく機序の整理であり、特定の菌株や製品の優位を主張するものではありません。
まとめ
同じ R. oligosporus でも菌株が違えば生育・酵素・安全性が変わり、テンペの品質が変わります [1][2]。育種は、(1) 良質テンペからの単胞子分離で均一なクローンを得て、(2) 生育・酵素・安全性を別々の指標で多段に選抜し、(3) 近縁有害種を分子同定で除外し、(4) 適応継代・変異・オミクスで形質を方向づけ(研究段階)、(5) 規格化された純粋培養スターターへ実装する、という連鎖で進みます [1][3][5]。再現性と安全性を高める一方で有用な多様性をどう残すかというトレードオフも、設計の一部です [3]。菌株の形質と最終品質を結ぶ因果連鎖を明示して評価することが、発酵を産業として誠実に育てる出発点になります。
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