「発酵食品は体に良い」を分子に翻訳できるか
味噌、納豆、漬物、甘酒。日本の食卓に並ぶ発酵食品が健康に良いという経験則は、長い食文化のなかで共有されてきました。一方で、科学の立場からこの経験則を扱うには、もう一段踏み込んだ問いが必要です。すなわち「どの成分が、どの細胞の、どの分子に作用して、その結果として体のどんな機能が変わるのか」を、できるだけ具体的に記述できるかという問いです。漠然と「腸内環境が整う」と言うだけでは、機序ベースの議論にはなりません。
この問いに一つの具体的な手がかりを与えた研究の例が、東京科学大学(研究当時は東京医科歯科大学 難治疾患研究所)の安達貴弘准教授らが 2020 年に Bioscience of Microbiota, Food and Health に報告した、食品から分離した菌の加熱殺菌菌体が B 細胞にインターロイキン-22(IL-22)を誘導することを示した論文です [1]。本稿ではこの研究を出発点に、確かめられた範囲とまだ確かめられていない範囲を切り分けながら、発酵食品と免疫の関係を分子・細胞・組織・個体の階層で整理します。
はじめに研究者の同定について補足します。「Adachi」を含む免疫論文には、β-グルカン研究で知られる別人(東京薬科大学の安達禎之)の業績もありますが、本稿は所属(東京医科歯科大学/東京科学大学の食品免疫研究)と研究テーマ(食品由来菌・B細胞・IL-22)で確認した安達貴弘准教授の論文に限定しています。
分子のレベル:IL-22というサイトカインの役割
まず IL-22 というサイトカインを押さえます。IL-22 は、上皮細胞に作用して抗菌ペプチドの産生やバリア関連分子の発現を促し、腸や皮膚といった境界面の防御を支えるサイトカインです。免疫細胞そのものを直接攻撃的にするというより、上皮側の守りを固める方向に働くのが特徴です。ただし IL-22 は、疾患や組織環境によっては炎症性の病態にも関与する、文脈依存性の高いサイトカインでもあり、増えれば常に健康に有利とは言えません。腸や皮膚の上皮バリアが保たれること自体は、外界と宿主の過剰な接触を防ぎ、低レベルの慢性的な刺激を抑えるうえで重要です。
安達准教授らの 2020 年の研究 [1] は、味噌・醤油・甘酒などから多数の菌株を分離・スクリーニングし、その加熱殺菌・凍結乾燥した菌体のなかに、培養したマウス B 細胞から IL-22 を誘導する菌体が存在することを示しました。原著によると、なかでも味噌由来の Bacillus coagulans sc-09株の菌体が強い IL-22 誘導能を示しています。なお本研究は生きた菌を摂取させたものではなく、加熱殺菌した菌体を用いた点に注意が必要です。意義は、食品由来菌体に応答する細胞種としてマウス B 細胞を、免疫学的な出力として IL-22 を特定した点にあります。一方で、菌体中の活性成分や、B 細胞側の受容体、細胞内シグナル伝達経路までは同定されておらず、機序の全体が分子レベルで解明されたわけではありません。
細胞のレベル:なぜB細胞なのか
IL-22 を産生する細胞としては、特定の T 細胞や自然リンパ球がよく知られています。それに対して、本研究は培養した B 細胞が食品由来菌体の刺激に応じて IL-22 を出しうることを細胞試験で示した点に意義があります。B 細胞は抗体を作る細胞として知られますが、サイトカインを介して周囲の環境を調整する役割も担います。ただし、個体の中で B 細胞由来の IL-22 がバリア機能の維持を担っているかどうかは、この研究だけでは確定していません(後述)。
関連して、別の研究 [2] にも触れておきます。安達准教授らは、マウスのパイエル板で IgA 産生に向かう胚中心前の IgA 陽性 B 細胞を識別するマーカー(インテグリン CD11b)を 2022 年に報告しています。腸管の B 細胞が、抗体(IgA)を作る経路とサイトカインを出す経路の双方に関わりうることを示す研究群の一つですが、この IgA 経路と sc-09株による IL-22 誘導との直接的な関係が示されているわけではありません。あくまで「B 細胞が腸管免疫で多面的な役割を持つ」という背景として位置づけられます。
組織・個体のレベル:バリアと慢性炎症
この研究で個体レベルの評価に使われたのは、皮膚から失われる水分量を示す TEWL(経表皮水分蒸散量)です。sc-09株の菌体を 1% 含む飼料を与えたマウスでは TEWL が低下し、皮膚バリア機能の改善が示唆されました。さらに IL-22 を中和する抗体を用いた実験で、この皮膚バリア改善が打ち消される方向の結果が得られ、IL-22 の関与が示唆されています。ただし、個体内でパイエル板や腸間膜リンパ節の IL-22 陽性 B 細胞が有意に増えたわけではなく(各群少数例での検討)、B 細胞特異的に IL-22 を欠損させる実験も行われていません。したがって「個体内で B 細胞由来の IL-22 が皮膚バリア改善を担った」とまでは直接証明されていません。また、この研究が個体で測定したのは皮膚バリアであり、腸管透過性や腸粘膜の組織像は評価されていません。腸管バリアへの作用は、原著でも今後の可能性として考察される段階です。
ここから先は、一般論として上皮バリアと慢性炎症の関係に触れます。腸のバリアが弱まると、腸内細菌やその成分が本来触れるべきでない場所に届きやすくなり、低レベルの全身性の免疫刺激が持続しうると考えられています。この持続的な刺激は、加齢に伴って進みやすい慢性炎症(インフラメイジング)の温床の一つとして議論されます。ただし本研究は、腸管バリア・全身炎症マーカー・加齢・寿命のいずれも評価していません。したがって「sc-09株が慢性炎症を抑え健康寿命を延ばす」という連鎖は、本研究で実証されたものではなく、上皮バリアと慢性炎症の一般的な関係を考えるうえで興味深い仮説にとどまります。マウスや細胞での知見を、ヒトが発酵食品を食べた効果へそのまま外挿することはできません。本稿は特定の食品や製品の効能を主張するものでも、医学的助言を行うものでもありません。
腸脳軸とウェルビーイングへの接続
腸のバリアと免疫の安定は、腸の中だけの話にとどまらない可能性があります。Cryan らが 2019 年に Physiological Reviews で総説したとおり、腸内環境は迷走神経・サイトカイン・短鎖脂肪酸などを介して中枢神経系と双方向に交信します [3]。腸管バリア・免疫・腸内細菌叢は一般に腸脳軸の構成要素ですが、本研究では脳機能・行動・認知・ウェルビーイングのいずれも評価されていません。したがって sc-09株―IL-22 経路と腸脳軸の関係は、今後検証すべき仮説です。発酵食品の機能性を語るとき、腸の局所だけでなく全身・脳までを見渡す視点は有用ですが、確かめられた経路と仮説の段階を混同しないことが、過大評価も過小評価も避けるうえで重要です。
日本の発酵食文化と発酵アンチエイジング
味噌由来の菌が B 細胞のサイトカインを動かすという知見は、味噌・甘酒・酒粕といった麹を起点とする日本の発酵食品を、機序ベースで再評価する手がかりになります。麹発酵を軸に発酵食品の価値を見直す津南醸造の取り組みのような動きは、こうした分子・細胞レベルの研究と地続きです。発酵アンチエイジングという言葉を、雰囲気ではなく経路で語れるようにすることが、この媒体の狙いです。
発酵食品が腸管免疫を支える分子経路の理解は、宇宙×発酵を掲げるSpace Seed Holdingsが関心を寄せる、閉鎖環境でも崩れにくい食と健康の基盤づくりという長期的な問いとも重なります。地上で確かめられた経路を、長期滞在という極限環境でどう保つかを考える土台になります。
まとめ
安達貴弘准教授らは、味噌などから分離した菌の加熱殺菌菌体が、培養したマウス B 細胞に IL-22 を誘導することを 2020 年に示し、味噌由来の Bacillus coagulans sc-09株の菌体を含む飼料を与えたマウスで皮膚バリア指標(TEWL)の改善を報告しました [1]。食品由来菌体に応答する細胞種として B 細胞を、出力として IL-22 を特定した点に意義があります。一方で、味噌そのものの摂取効果、ヒトでの作用、腸管バリアへの効果、そして個体内で B 細胞由来 IL-22 が因果を担うことは、いずれも未確定です。胚中心前 IgA 陽性 B 細胞のマーカー研究 [2] は B 細胞の多面性を示す背景で、sc-09株―IL-22 経路との直接の関係は示されていません。バリアの安定と慢性炎症の抑制、腸脳軸 [3] を介したウェルビーイングへの広がりは、確かめられた事実ではなく今後検証すべき仮説です。発酵食品の価値を、雰囲気ではなく確かめられた範囲で語るうえで、本研究は有用な一歩です。
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