2020年に発酵食品のGABAが整理された
γ-アミノ酪酸(GABA)は、中枢神経系の主要な抑制性神経伝達物質として知られる物質です。脳内では神経の過剰興奮を抑え、興奮性のグルタミン酸系とのバランスを保つ役割を担います。同時に、GABA は発芽玄米、トマト、大豆、一部の発酵食品など、通常の食事からも微量に摂取されます。機能性表示食品の分野で「ストレス」「睡眠」を訴求する成分として用いられることもあり、その実態を機序ベースで整理する必要がありました。2020年、Sahab らは Heliyon に総説を発表し、発酵食品・発酵飲料における GABA の生成傾向と、機能性食品成分としての利用動向を整理しました [1]。
本記事では、2020年時点でこの総説がどのような整理を行ったかを、過大評価を避けつつ、酵素・微生物・吸収・脳という複数のレベルで機序の観点から振り返ります。
分子・酵素レベル:乳酸菌発酵によるGABA生成
Sahab らは、GABA が通常の食事から微量に得られる一方、乳酸菌(lactic acid bacteria, LAB)の発酵によって遥かに高濃度に生成されうると整理しました [1]。機序は分子レベルで明快です。多くの乳酸菌はグルタミン酸脱炭酸酵素(glutamate decarboxylase, GAD)を持ちます。GAD は補酵素ピリドキサールリン酸(ビタミン B6 由来)を使い、グルタミン酸を脱炭酸して GABA に変換します。
この反応には、菌体にとっての生理的な意味があります。脱炭酸の際にプロトン(H⁺)が消費されるため、GAD 反応は細胞内 pH の上昇に寄与し、酸ストレス下での菌体の生存を助けます。生成された GABA は GABA/グルタミン酸アンチポーターを介して菌体外へ排出され、細胞外の基質(グルタミン酸)と交換されます。つまり GABA 生成は、乳酸菌が酸性環境を生き抜くための適応機構の副産物であり、発酵が進んで酸性化するほど活性化しやすいという性質を持ちます。
この分子機序を理解すると、発酵食品の GABA 含量を左右する因子が見えてきます。すなわち、(1) 用いる菌株が高活性の GAD を持つか、(2) 基質中に前駆体グルタミン酸(または遊離しやすいグルタミン酸結合タンパク質)が十分にあるか、(3) pH・温度・発酵時間が GAD 活性域に保たれるか、です。Sahab らの整理は、これらの条件を最適化することで発酵食品の GABA 含量を高めうることを示しています [1]。
食品レベル:日本の発酵食における位置づけ
日本の発酵食文化では、漬物、味噌、清酒、甘酒など、乳酸菌や麹菌が関与する発酵で GABA が生成しうる経路があります。麹菌(Aspergillus oryzae)はプロテアーゼによって基質タンパク質を分解し、遊離グルタミン酸(うま味の源でもある)を供給します。この遊離グルタミン酸が、後段で関与する乳酸菌の GAD 反応の基質になりうるため、麹を核とする日本型の複合発酵は、機序的に GABA 生成の前提条件を整えやすい系といえます。
ただし、ここに重要な留保があります。食品ごとの GABA 含量はばらつきが極めて大きく、同じ食品カテゴリーでも製法・菌叢・熟成によって桁が変わります。発酵食品が GABA の主要供給源になると一般化できる段階ではなく、「発酵食品=GABA が豊富」という単純化は機序的にも疫学的にも支持されません。含量を語るには、特定の製品・製法を特定する必要があります。
吸収・体内動態レベル:経口GABAは脳に届くのか
GABA をめぐる関心の多くは、ストレス緩和や睡眠への影響に向けられています。ここで決定的に重要なのが、吸収と体内動態のレベルの機序です。
経口摂取した GABA がそのまま脳に作用するためには、(1) 消化管で分解されずに吸収され、(2) 血液脳関門(blood-brain barrier, BBB)を通過し、(3) 脳内で機能的な濃度に達する、という三段階を通過する必要があります。しかし GABA は親水性が高く、BBB を構成する内皮細胞のタイトジャンクションを自由には通過しにくい分子です。BBB の GABA 透過性については長く議論があり、ヒトでの経口 GABA 投与とストレス・睡眠アウトカムを扱った研究の結果は一貫していません [1]。一部の研究は自律神経指標や脳波の変化を報告する一方、効果量・再現性・盲検化の質には課題があり、結論は確立していません。
このため、「発酵食品の GABA が直接脳に作用してリラックス効果をもたらす」という単純な因果は、現時点で確立されていません。仮にヒトで何らかの作用が観察されたとしても、その経路が中枢への直接作用なのか、末梢(腸管の GABA 受容体、迷走神経、自律神経系)を介した間接作用なのかは切り分けられていません。むしろ、腸を起点とする間接的な経路が機序的に検討されています。
細胞・神経レベル:腸脳軸を介した間接経路
Silva らが2020年に Frontiers in Endocrinology で整理したように、腸内細菌が産生する短鎖脂肪酸(SCFA)は、腸内分泌細胞のホルモン分泌、迷走神経の求心性シグナル、免疫細胞を介したサイトカインプロファイルの変化など、複数の経路で腸脳軸に関与しうると考えられています [2]。GABA についても、一部の腸内細菌が GABA を産生・消費することが知られており、腸管局所の GABA 受容体や腸神経系を介したシグナルが、間接的に中枢の状態に影響しうる経路が検討されています。
Cryan らが2019年に Physiological Reviews で総説したとおり、腸内細菌叢は迷走神経・サイトカイン・代謝物・神経伝達物質前駆体(トリプトファンからセロトニン経路など)を介して脳と双方向に交信します [3]。この多層的なネットワークのなかでは、発酵食品由来の GABA は単独の主役ではなく、腸内環境の修飾・代謝物プールの変化・迷走神経シグナルといった複数経路の一要素として位置づけるのが妥当です。
個体・集団レベル:何が未確定か
個体・集団レベルでは、発酵食品の常用が気分・睡眠・認知のアウトカムと関連するかが問われますが、ここでも観察研究と介入研究の区別が重要です。発酵食品をよく食べる人は食生活全体が異なる傾向があり、観察された関連が GABA によるのか、発酵食品の他成分によるのか、食事パターン全体によるのかは切り分けられません。GABA 単独を介入因子としたヒト試験は限られ、発酵食品由来 GABA の寄与を分離して評価した研究はさらに少ないのが現状です。発酵食品の機能性は、単一成分の直接作用ではなく、複合的な経路として、かつ特定の製品・集団・アウトカムを特定して評価する必要があります。
スペースシードホールディングス が掲げる宇宙×発酵の構想でも、発酵食品が閉鎖環境下のウェルビーイングや睡眠の質に与えうる影響は、機序ベースの慎重な検証対象として議論されています。閉鎖・隔離環境ではストレスと睡眠の管理が重要課題になるため、発酵食品の機能性成分は安易な効能訴求ではなく、吸収・体内動態・経路の特定を前提に検討されるべき題材です。
まとめ
2020年に Sahab らは、発酵食品・発酵飲料における GABA の生成傾向を整理し、乳酸菌の GAD を介した GABA 生成が酸ストレス適応の副産物として高濃度に進みうる機序を示しました [1]。一方、経口 GABA が血液脳関門を越えて中枢に直接作用するかは証拠が一貫せず、腸脳軸を介した間接経路が機序的に検討されている段階です [1][2][3]。発酵食品の機能性は、単一成分の直接作用ではなく、酵素・微生物・吸収・神経の複数レベルにまたがる複合的な経路として捉える必要があります。
スペースシードホールディングス が掲げる宇宙×発酵の構想でも、発酵食品が閉鎖環境下のウェルビーイングに与えうる影響は、機序ベースの慎重な検証対象として議論されています。
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