2020年の世界整理から日本の発酵を読み直す
2020年に Tamang らが Comprehensive Reviews in Food Science and Food Safety で発表した総説は、世界各地の発酵食品を基質・微生物・製法で体系化しました [1]。そのなかで、アジアの発酵が自然発酵やスターターの併用を特徴とすると整理されています。日本の発酵食はこの枠組みで「東の発酵」の代表として位置づけられますが、その核には麹菌(Aspergillus oryzae)という、人類が千年以上かけて飼い慣らしてきた管理された糸状菌がいます。
本記事は、編集長(鈴木健吾)が津南醸造株式会社の代表取締役を兼務するため、冒頭に利益相反を開示しています。以下は査読論文に基づく機序の整理であり、特定商品の効能を主張するものではありません。発酵・微生物・代謝の領域は私自身の専門領域でもあり、その視点から日本型の複合発酵の機序を、酵素・微生物・代謝物・食品・集団のレベルで整理します。
分子・酵素レベル:麹菌の酵素群がもたらすもの
日本の味噌・醤油・清酒・甘酒・酒粕に共通するのは、まず麹菌が基質に多様な加水分解酵素(α-アミラーゼ、グルコアミラーゼ、酸性プロテアーゼ、中性・アルカリプロテアーゼ、ペプチダーゼ、リパーゼなど)を分泌する一次発酵があり、その後に乳酸菌・酵母が関与する二次発酵が重なる複合発酵だという点です。Tamang らの整理に照らすと、これはスターター依存型と自然発酵型の中間に位置する精緻な制御系といえます [1]。
分子レベルで重要なのは、麹菌が分泌する酵素群が基質(米・大豆・麦)の高分子を体系的に分解し、(a) 消化性の高いペプチドや遊離アミノ酸、(b) デンプン由来のオリゴ糖・グルコースといったプレバイオティック基質や発酵性糖、(c) 後段の乳酸菌・酵母が代謝物を作るための炭素源・窒素源、を一度に供給する点です。とくにグルコアミラーゼがデンプンをグルコースに分解し、酸性プロテアーゼがタンパク質をアミノ酸・ペプチドに分解することで、二次発酵を担う酵母・乳酸菌が利用できる「下ごしらえ済みの基質」が用意されます。一次分解で生まれた素材が二次発酵の代謝物多様性を底上げする——この多段構造が、日本型発酵が機能性の宝庫になりうる分子レベルの機序的理由です。
麹菌そのものの安全性についても整理しておく価値があります。A. oryzae はゲノム解析により、近縁の A. flavus と異なりアフラトキシン生合成遺伝子クラスターが機能しないことが示されており、長い家畜化(domestication)の歴史のなかで毒素非産生株が選抜されてきたと考えられています。この「制御された安全な糸状菌」という性質が、後段の二次発酵を安定に走らせる前提になっています。
細胞・代謝物レベル:GABA とポリアミン、含硫アミノ酸
二次発酵で生じる代謝物の一例が γ-アミノ酪酸(GABA)です。Sahab らが2020年に整理したように、乳酸菌はグルタミン酸脱炭酸酵素(GAD)を介してグルタミン酸を脱炭酸し GABA を生成します。この反応はプロトンを消費するため菌体の酸ストレス耐性に寄与し、発酵条件(pH・温度・基質グルタミン酸量)の最適化で含量を高めうることが知られています [2]。ここで日本型発酵の多段構造が効いてきます。麹菌の酸性プロテアーゼによる一次分解で遊離グルタミン酸(うま味の源でもある)が供給されるため、後段の乳酸菌が GAD 反応に使う基質が整いやすい——機序的に GABA 生成の前提条件を準備する系といえます。
同様に、ポリアミン(スペルミジン、スペルミン等)も、麹菌・酵母・乳酸菌のポリアミン代謝(オルニチン脱炭酸酵素を介する経路など)を通じて発酵食品に蓄積しうる成分です。ポリアミンは細胞の増殖・遺伝子発現・オートファジー関連経路に関わる小分子であり、発酵大豆製品で相対的に高い含量が報告されてきました。含硫アミノ酸代謝の文脈では、Beelman らが2020年に整理したエルゴチオネインのように、糸状菌が関与する発酵が特定の機能性分子の供給経路になりうるという論点があります [3]。これらは、発酵を「保存技術」ではなく「機能性分子の生合成プラットフォーム」として捉え直す視点につながります。
ただし、ここに一貫して必要な留保があります。これらの代謝物の食品ごとの含量はばらつきが極めて大きく、製法・菌叢・熟成で桁が変わります。発酵食品がこれらの成分の主要供給源になると一般化できる段階ではなく、含量を語るには特定の製品・製法を特定する必要があります。
食品・素材レベル:酒粕という研究素材
清酒醸造の副産物である酒粕は、米由来成分に加え、麹菌・清酒酵母の発酵代謝物(ペプチド、レジスタントプロテイン、ポリアミン、葉酸、ビタミン B6、S-アデノシルメチオニン、スフィンゴ脂質など)を含むことが報告されています。清酒製造では原料に対して相当量の酒粕が副生するため、これを「廃棄物」ではなく機能性研究の対象として捉え直す動きは、副産物を価値化する完全資源循環型の食料供給という観点とも整合します。
酒粕の機能性を機序ベースで考えるときも、本記事の整理がそのまま当てはまります。すなわち、酒粕に含まれる成分は、麹菌の一次分解と酵母・乳酸菌の二次代謝という多段構造の産物であり、単一成分ではなく複合素材として腸内環境・代謝に作用しうる、という視点です。津南醸造でも、スマート醸造の知見をもとに酒粕(SAKESOME という発酵素材コンセプトを含む)の研究的活用が議論されています(津南醸造)。本記事はその研究背景の機序整理であり、商品の効能を述べるものではありません。
なお、私はかつて微細藻類分野での研究歴がありますが、本記事はその系譜とは独立に、麹発酵の酵素・代謝の機序を一次論文に基づいて整理したものです。
個体・集団レベル:何が確立し、何が未確定か
個体・集団レベルでは、こうした発酵代謝物を含む日本型発酵食の常用が、健康アウトカムとどう関連するかが問われます。ここでも観察研究と介入研究の区別が決定的です。日本型発酵食をよく食べる食事パターンは、食事全体の構成・生活習慣と相関するため、観察された関連が発酵食品そのものによるのか、食事パターン全体によるのかを切り分けることは、観察デザインだけではできません。代謝物(GABA・ポリアミン・含硫アミノ酸)の機序が分子・細胞レベルで整合しても、それが個体レベルのアウトカムにつながることは、別途の介入研究で検証すべき命題です。
日本型発酵を機序ベースで評価する価値は、効能を主張することではなく、麹菌の酵素群による一次分解が二次発酵の代謝物多様性を底上げする多段構造を明確にし、どの成分が、どの細胞・組織レベルで作用しうるかを切り分ける点にあります。
スペースシードホールディングス が掲げる宇宙×発酵の構想でも、麹を核とする日本型発酵の制御性は、閉鎖環境での食料供給と機能性の両立を考えるうえで機序的に重要な題材として議論されています。限られた基質から安全に、再現性高く、多様な機能性代謝物を引き出せる制御系は、閉鎖環境の食料システムの要件と重なります。
まとめ
2020年の Tamang らの世界整理を起点に読むと、日本型の複合発酵は、麹菌の酵素群(アミラーゼ・プロテアーゼ・リパーゼ群)による一次分解が、乳酸菌・酵母による二次発酵の代謝物多様性を底上げする多段構造に機能性の機序的基盤があります [1]。GABA(GAD を介する生成)、ポリアミン、含硫アミノ酸など、二次発酵で生じる代謝物の研究が進む一方 [2][3]、食品ごとの含量のばらつきと、分子・細胞機序から個体アウトカムへの因果検証の必要性には引き続き慎重さが求められます。
スペースシードホールディングス が掲げる宇宙×発酵の構想でも、麹を核とする日本型発酵の制御性は、閉鎖環境での食料供給と機能性の両立を考えるうえで機序的に重要な題材として議論されています。
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